# Time is money
と
時は金なり

種類:その他格言
数ある同義のことわざを抑えて堂々の一位を獲得していることわざですね。
なぜ、首位を獲得できているのでしょうか。考えてみました。
正直に言うと、この絵は、惚れて描いたわけではない。
ビジネスシーンでの用途を見込んで、 19点、まとめて量産した。 つまり、需要を先に読んで、狙って作った絵である。
そして、目論見通り、それなりに売れた。
イラストの世界には「惚れて描いた絵ほど売れない」 という、なんとも皮肉な法則があるように思う。 だが、この絵はその逆を行った。 惚れずに計算した絵は、計算通りに売れる。 身も蓋もないが、これもまた真実である。
そして今、この売れっ子も無料開放中だ。稼いだ恩人にも、休みなく次の仕事をしてもらう。太っ腹な話である。
「時間を大切に」の同義語は、山ほどある。 一寸の光陰軽んずべからず、光陰矢の如し、歳月人を待たず——
その中で「時は金なり」が、なぜ独り勝ちしているのか。
理由は単純だと思う。短くて、分かりやすいから。 出典は1748年、ベンジャミン・フランクリンの『若き商人への手紙』。 時間とお金という、誰にでも身近な二つを、 たった五文字で結びつけてしまった。
長い教訓より、短い比喩が勝つ。 これは格言の世界にも、市場の理屈がある、ということだ。
作画のメモに、気になる一文が残っていた。
砂金の砂時計を描いた後、私はこう書いていた。 「下のフラスコが割れていて、砂がこぼれて回収できない風の絵の方がいいかな。考え中」
——結局、その絵は作らなかった。
このことわざの本質は、実は無傷の砂時計より、 割れて、こぼれて、二度と戻らない砂のほうにある。 時は金なり、ではなく、 時は、こぼれたら取り戻せない金なり、が正しい。
分かっていながら、私はその絵を、まだ描いていない。 「時は金なり」の記事を書きながら、 その絵を描く時間を、後回しにし続けている。
我ながら、出来すぎた話である。
三年前の私見に、私はこう書いていた。
「年を重ねるごとに、過ぎ去った時間や 達成できなかった目標に、後悔や焦りを感じる」
そして、こう続けていた。
「しかし対岸には、ダラダラと時間を浪費している 現在の自分も見えていますけど」
この二つは、矛盾しているようで、矛盾していない。 焦りながら、ダラダラする。 それが、たぶん、人間の通常運転なのだと思う。
そして今、この文章を書いているのは、深夜である。
時は金なりと説きながら、 時計の針を随分と過ぎたところまで、私は起きている。
割れたフラスコの絵を、 結局まだ描いていないのと、よく似た夜である。
砂は、こぼれ続けている。 それでも、こぼれた分だけ、 今日はこの解説が、一つ書き上がった。
悪くない使い方だったと、思うことにする。 おやすみなさい。
時は金なり

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