# えてにほをあげる
え
得手に帆をあげる

種類:江戸かるた
三年前、ヨットの絵を見て「うらやましいなぁ」と書いた。だがその時すでに七年、岡山の海辺に住んでいた。赴任は会社の辞令、購入は家内の即決——努力の入る余地なき、正真正銘の棚ぼた暮らしについて。
得手に帆をあげる——江戸かるたの一枚である。
得意なことに乗じて、調子よく物事を進める。 颯爽とヨットを走らせる、あの心地よさを言い当てたことわざだ。
だが、辞書を引くと、もう一つの顔が出てくる。
「えて」とは、自分で努力せずに何かを得ること。 つまりこの言葉、裏を返せば 「棚ぼたの風に乗って、澄まし顔で進む」という、 やや皮肉のこもった意味も持っている。
英語の "a windfall"(棚から落ちてきた果実、転じて思わぬ幸運)が近い、 という指摘は、我ながら三年前の自分にしては鋭かった。
得意技で快調に進むのか、単なる幸運に乗っているだけなのか—— 同じ帆、同じ風でも、見る角度で意味が反転する。 なかなか食えないことわざである。
メインの絵には、若い女の子が、 順風を受けてヨットを爽快に操るところを描いた。
風を味方につけて進む、あの気持ちよさ。 苦労している顔ではなく、心地よさそうな顔で描いたのは、 「得手」という言葉の軽やかさを大事にしたかったからだ。
三年前の私見に、私はたった一言、こう書いていた。
「うらやましいなぁ」
順風満帆を、外から眺めて羨む—— あの頃の私は、まだ岸に立っていたのだろう。
さて、ここでお伝えしておきたいことがある。
当サイトには、キーワードに「帆」を持つイラストが、47点もある。
自分でも、あらためて数えて驚いた。 そんなに帆を描いていたとは、自覚していなかった。
理由は、たぶん単純である。
私は現在、岡山の海辺のマンションに住んでいる。
きっかけは、今から十年ほど前。 会社勤めの頃、この地に赴任することになった。 そして、この景色を見た家内が、迷わずマンションを買った。
私の判断は、特に介在していない。 気づいたら、海辺の住人になっていたのである。
つまり、である。 三年前「うらやましいなぁ」と書いていた男は、 実はその時すでに、七年も海辺で暮らしていたのだ。 帆のすぐそばに住みながら、絵の中の帆を、なお羨んでいたことになる。
ここで、あらためて自問しなければならない。
海辺の暮らしを手に入れたのは、 「得手」——長年の仕事の実績に見合った、順当な帆なのか。 それとも、単なる棚ぼたの "windfall" なのか。
答えは、わりと明快である。棚ぼたである。
赴任は会社の辞令、購入は家内の即決。 私はただ、景色の良いところに連れて来られ、 気に入った妻に押し切られて住み着いただけだ。 努力の入る余地が、どこにも見当たらない。
もっとも、このことわざの本文にも、こう書いた覚えがある。
「得意分野を作っておけば、たとえ逆風になっても、 芸は身を助く、になる」
海辺の暮らしが正真正銘の棚ぼただとしても、 47艘の帆——長年描き続けてきた技術と題材——は、 少なくとも、棚ぼたではない。 景色は貰い物でも、それを描く腕だけは、自前で用意してきたつもりである。
三年前、私はヨットの絵を見て「うらやましいなぁ」と書いた。
だが、その言葉を書いていたパソコンの窓の外には、 すでに十年、本物の海が広がっていたはずなのだ。
灯台下暗しとは、まさにこのことである。 うらやましがっていた景色に、 とっくの昔から、自分が住んでいた——というのも、 考えてみれば、なかなかの棚ぼたである。
さて、今日はどちらの風で進もう。 得手の風か、棚ぼたの風か。
まあ、区別する必要もないのかもしれない。 海辺に住んでいる時点で、 すでに十分、順風満帆である。
得手に帆をあげる|47艘の帆を持つ男の、海辺暮らし

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