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お
お客様は神様です

種類:その他格言
スーパーに本物の神様が降臨しても、誰も気づかない国で、レジの前では「客」という神様が幅を利かせている。三波春夫さんの「お客様は神様です」の本当の意味と、ミッションスクール出身の描き手による、気づかれない神様の絵の話。
まず、上のイラストをご覧いただきたい。
日本の、ごく地味なスーパーマーケット。 青果売り場に、イエス・キリストが降臨している。
後光が差している。どう見ても本物である。 だが、誰も驚かない。誰も気づかない。 クリスチャン人口およそ1%の国では、 神の子が野菜を選んでいても、長髪の外国の方が一人いるだけなのだ。
彼はこの後、自分でカゴを持ち、自分でレジに並ぶのだろう。 特別扱いは、一切ない。
——ところがこの国には、レジの向こう側で 「神様」を名乗る人々が、別にいるのである。
「お客様は神様です」
この言葉は、演歌歌手・三波春夫さんの名文句として知られている。 そして今日、客が店員に無理を通すときの 印籠のように使われている。
だが、調べてみると意外な事実に行き当たる。 三波さんの真意は、世間の使い方とまるで違うのだ。
彼が語ったのは、芸人としての心構えである。 神前で祈るときのように、雑念を払い、澄み切った心で お客様の前で歌をうたう—— つまり「歌う自分」を律する言葉であって、 「お客は何をしても許される」という意味では、まったくない。
ご遺族や事務所が、この誤用について 繰り返し訂正を発信していることでも知られている。
芸の覚悟を語った言葉が、独り歩きの果てに、 無理難題の免罪符になってしまった。 言葉の運命としては、かなり気の毒な部類である。
誤解された言葉の行き着いた先が、 いわゆる**カスタマーハラスメント(カスハラ)**である。
理不尽なクレーム、暴言、土下座の要求—— 「客だぞ」の一言が、なぜか水戸黄門の印籠として通用してしまう。
ちなみに海外では事情が違う。 ドイツでは店員と客は対等が基本とされ、 アメリカでは悪質な客を入店禁止にする企業も珍しくない。 「おもてなし」の国だけが、 神様の自称を、審査なしで受け付けているのである。
八百万の神の国に、また一柱。 「客」という名の神様が、今日もレジ前に降臨する。
ここで、私見を述べたい。
私は高校まで、キリスト教系の学校に通っていた。 このような絵を描いているのだから、 信仰心が薄いことは、残念ながら認めざるを得ない。
ただ、礼拝の時間に聞いた言葉で、 妙に覚えているものが一つある。
神の子は、仕えられるためではなく、仕えるために来た—— たしか、そんな一節だった。
つまり、である。 本物の神様は「仕えられる側」を名乗らなかったのだ。
自分でカゴを持ち、自分で列に並び、 レジの店員に、たぶん「ありがとう」と言う。 あのイラストのキリストの姿は、 茶化して描いたつもりが、案外、教えに忠実だったのかもしれない。
「お客様は神様です」の正しい使い方があるとすれば、 神様のように振る舞ってもらうことではなく、 神様のように振る舞うことなのだろう。 三波さんの真意も、要するにそういうことだ。
白状すると、このページはウケを狙って作った。 そして公開から3年、検索にも掛からず、 誰にも気づかれないまま、静かに佇んでいる。
……お気づきだろうか。
このページ自体が、あのスーパーのキリストと同じ境遇なのである。
降臨はした。後光も(自分では)差している。 だが、誰も気づかない。
まあ、それでいい。 本物がそうであるように、 気づかれないことと、そこにいないことは、別である。
いつか誰かが青果売り場で、ふと隣に気づくように、 このページにも、気づく人が通りかかるかもしれない。
それまで当ページは、カゴを提げて、 静かに列に並んでいることにする。
お客様は神様です|スーパーに降臨した本物と、誤解された言葉

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