# のどもとすぎればあつさわすれる
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のど元すぎれば熱さ忘れる

種類:江戸かるた
「のど元すぎれば熱さ忘れる」——だが極端な猫舌の私は、そもそも喉に届く前、舌の段階で止まっている。忘れる特権を、最初から与えられていない。咽頭と食道の感覚神経の違い、食道癌のリスク研究、そして矛盾するビール好きの告白。
のど元すぎれば熱さ忘れる—— 苦しい経験も、喉を過ぎてしまえば(=時間が経てば)、 すぐに忘れてしまう、という意味である。
このことわざを紹介するにあたり、まず白状しなければならない。
私は、極端な猫舌である。
熱いものを飲み込む、ということが、そもそもできない。 他の人が「ちょうどいい温かさ」と感じる程度でも、 私はまだ、冷めるのを待っている。
だから、温かい料理を食べるのが、ものすごく遅い。 その代わり、冷たいもの——特にビールは、 誰よりも早く飲み干す。この差は、我ながら極端だと思う。
ここで、一つ気づいたことがある。
このことわざが扱っているのは、 「喉を過ぎった後」に熱さを忘れる、という話である。
だが、私の問題は、そこではない。 喉に届く前、舌の段階で、すでに止まっているのだ。
つまり、私は「熱さを忘れる」以前に、 そもそも「熱さを我慢して飲み込む」という工程そのものを、 最初からやっていない。
慌てて飲み込んで喉を過ぎ、 「ああ、もう平気」と忘れる人たちを横目に、 私はいまだに、猫舌のまま、湯気の消えるのを待っている。
このことわざの舞台にすら、 立たせてもらえていない、というわけである。
とはいえ、他の人たちの「忘れる」という感覚は、 実は理にかなっている。
口から喉にかけての咽頭には、 感覚神経が多く分布している。 一方、その先の食道には、感覚神経が少ない。
だから、熱いものが咽頭を通過し、食道に入ってしまえば、 痛みや熱さを感じにくくなる。 「のど元すぎれば」というのは、単なる比喩ではなく、 神経分布に基づいた、わりと正確な身体感覚の表現だったのだ。
科学的に理にかなっているからといって、 熱い飲食を習慣にしていいわけではない。
ある研究では、60℃以上の飲料を習慣的に飲む人は、 食道癌の発症リスクが高まると報告されている (Islami F, et al. Int J Cancer. 2020;146(1):18-25.)。
そして、これより相関がはっきりしているものが、もう一つある。
アルコールである。
アルコールと食道癌の発症には、明確な正の相関がある。
……熱いものは我慢して避けているくせに、 大好きなビールのリスクには触れないふりをする。 猫舌のプライドと、酒好きの本音が、 綺麗に矛盾している自覚は、一応ある。
三年前、この絵には、 小学校時代の担任に似た先生が、 解剖図を指して熱さの仕組みを説明する場面を描いた。
正直に言う。投げやりだった。
本来この記事の主役は、猫舌の私自身であるべきだった。 湯気の上がる料理を前に、じっと冷めるのを待つ姿こそが、 このことわざへの、一番正直な回答だったはずだ。
先生に科学的な説明を代弁させて、 自分は舞台袖に隠れてしまった—— それが、三年前の私がやったことである。
のど元を過ぎれば、たいていの人は熱さを忘れる。
だが、猫舌の私だけは、 熱さを忘れる特権を、そもそも与えられていない。
忘れられないのではない。 忘れる場所まで、たどり着けないのだ。
その代わり、冷たいビールの一杯だけは、 誰よりも早く、きれいに忘れずに飲み干している。
のど元すぎれば熱さ忘れる

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