# ろんよりしょうこ
ろ
論より証拠

種類:江戸かるた
「あっちの原っぱで怪物を見た」「ウソだ、証拠を見せろ」——その結果、証拠がお茶の時間に来てしまった。証拠を要求する人間は、証拠が本当に来るとは思っていない。「証拠は?」としつこく聞くガキだった男の、半世紀後の考察。
いろはカルタの概念難題シリーズ、今回は江戸の「ろ」——論より証拠である。
あれこれ議論するより、証拠を一つ出すほうが早い。 実に明快なことわざだが、絵に描こうとすると、はたと困る。
「論」を描く? 「証拠」を描く? どちらも概念であって、姿かたちがない。 「願う」「備える」「知る」「闇」と苦しんできた当サイトだが、 今回は概念が二つも入っている。難題の二枚看板だ。
散々考えて、私はこう解くことにした。
証拠に、直接来てもらう。
絵の状況は、こうである。
一人の子供が言った。 「あっちの原っぱで、怪物を見た」
友達は当然、信じない。 「そんなのウソだ。ウソつき。証拠を見せろ」
——その結果が、この絵である。
食卓の向こうに、証拠が座っている。 体長数メートル。大きな黄色い目。牙の並んだ口。 そして目の前には、湯気の立つティーカップ。
証拠が、お茶の時間に来てしまったのだ。
私がこの絵で気に入っているのは、子供たちの顔である。 勝ち誇ってもいなければ、喜んでもいない。ただ、固まっている。
そう——「証拠を見せろ」と言う人間は、 証拠が本当に出てくるとは、思っていないのである。 あれは相手を黙らせるための決まり文句であって、 巨大な実物がお茶を飲みに来る事態は、想定に入っていない。
論より証拠。まったくその通り。 ただし証拠には、お茶を出さねばならない。
ここで白状すると、私は幼少の頃、 なにかと「証拠は?」としつこく尋ねるガキだった。
友達の自慢話にも、大人の説明にも、「証拠は?」。 さぞかし可愛げのない子供だったろうと思う。
だが、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、 このガキの行く末を見てほしい。
進んだ先は薬学——証拠(エビデンス)がすべての世界である。 統計データを扱い、論文を書き、 「数字は嘘をつかないが」などというページを作り、 今や、イラストの販売台帳を証拠として、 エッセイを書き続けている。
半世紀経っても、やっていることは同じだ。 「売れた」ではなく「何月何日の何時に、何件売れたか」。 証拠は?のガキは、証拠は?の老人に、まっすぐ育ったのである。
とはいえ、この歳になって思うことも書いておきたい。
とかく世の中は、証拠、証拠とやかましい。 だが、証拠の出ないものにも、本当のことはあるのだ。
母の雷の音量は、どの台帳にも残っていない。 友人の「僕は雨男じゃないよ」という呟きに、録音はない。 半世紀前のチャペルで聞いた一節にも、出席簿以外の証拠はない。
それでも、あれらは全部、本当にあった。 そして白状すれば、この連載の半分は、 そういう証拠のない話でできている。
あの絵の子供たちも、本当は、 証拠を要求する前に、友達の話を聞いてやればよかったのだ。 そうすれば怪物は、原っぱで昼寝を続けていられた。 証拠しか信じない世界では、 怪物がわざわざ、お茶の席まで出向かねばならなくなる。
論より証拠。 だが証拠より先に、まず、話を聞いてやってほしい。
なお、あの怪物がもし実在したら、 微笑ましいお茶会では済まず、自衛隊が出動する騒ぎだろう。 証拠が本当に現れた世界というのは、案外、大変なのである。
「証拠は?」と聞き続けて半世紀の私だが、 聞かれる側の怪物の気持ちも、この頃は少し分かる。
だからせめて、証拠に来てもらったときには、 お茶くらいは、出そうと思う。
論より証拠|証拠は、お茶の時間にやってくる

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