# ごえつどうしゅう
ご
呉越同舟

種類:その他格言
子供のいない男が、想像だけで描いた参観日のママたち。格好良く仕上がったので、後から言葉を探した。行き着いたのは、宿敵が同じ舟では手を組む「呉越同舟」。絵が先、意味は後づけという、創作格言の気恥ずかしい実態。
正直に、白状することがある。
当サイトには「創作格言」というコーナーがある。
出来上がった絵に自分で見出しをつけ、 まるで昔からある言葉であるかのように紹介する—— 早い話が、ことわざの偽造である。
この行為、我ながら、なかなか気恥ずかしい。
ただ、今回ばかりは、本物のことわざに助けられた。 書いているうちに気づいたのだ。 これはもう、「呉越同舟」そのものではないか、と。
順番を、正直に明かしておく。
普段のこの連載は、ことわざが先にあり、 それを絵にする、という順序で作っている。
だが、今回のこの絵は逆だった。
幼稚園の参観日、それぞれ独自のスタイルで着飾ったママたちが、 横一列に並んでいる——というイラストが、 描いてみたら、なかなか格好良く仕上がってしまった。
見出しが先になかった。 だから、無理やり「幼稚園のママ友、実はライバル」という 自作の言葉をひねり出し、ページを作った。
絵が先、意味は後づけ。 これもまた、創作格言という生業の、気恥ずかしい実態である。
もう一つ、告白しておかねばならない。
私には、子供がいない。
つまり、この絵の光景——参観日の空気、 ママたちの間に漂う、あの独特の緊張感——は、 実際に見たことがない。すべて、想像である。
以前、ボールルームダンスの絵について、 「踊ったことはないが、見てきたことはたくさんある」と書いた。 今回は、それよりもう一段、根拠が薄い。 見てきたことすら、ない。 テレビドラマや世間話から、なんとなく吸い上げた空気だけで、 この絵は描かれている。
それでも、格好良く仕上がってしまうのだから、 想像力とは、なかなか侮れないものである。
さて、本題の言葉について。
呉越同舟は、孫子の兵法にある故事に由来する。
呉と越は、古代中国において、長年争い続けた宿敵同士である。 だが、その両国の人間が、たまたま同じ舟に乗り合わせ、 嵐に遭遇したとしよう。
そのとき、彼らはどうするか。
争っている場合ではない。 互いに助け合い、力を合わせて、舟を沈めまいとする。
敵対する者同士でも、共通の危機や、共通の場に置かれれば、 一時的に協力し合う——それが、呉越同舟の意味である。
これを、参観日のママたちに当てはめてみる。
普段は、それぞれのスタイルで着飾り、 子供の成績や習い事、家庭の格式まで、 静かに火花を散らし合っているかもしれない。
だが、参観日という場では、全員、隣に並んで微笑んでいる。 子供の晴れ舞台を、ともに見守る立場として。
宿敵の呉と越が、同じ舟の上では手を取り合ったように、 ライバルのママたちも、この日ばかりは横一列に並び、 にこやかに、同じ舟——参観日という場を、乗り切っている。
争いは、消えたわけではない。 ただ、今日のところは、水面下に沈めてあるだけだ。
見たこともない光景を、想像だけで描いた絵に、 二千年以上前の兵法書の言葉が、驚くほどぴったりはまった。
創作格言という、気恥ずかしい生業ではあるが、 今回ばかりは、偽物のことわざを名乗らずに済んだ。
呉越同舟。 子供のいない男が描いた参観日にも、 ちゃんと、本物の言葉が見つかることもある。
呉越同舟|参観日の、笑顔の火花

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