# あしもとからとりがたつ
あ
足元から鳥が立つ

種類:京都かるた
Googleにはインデックスされているのに、アクセスはほぼゼロ。「巨大な鳥が足もとから立ち上がる」という、ひねった解釈の絵。だが「立つ」の意味をこねくり回した結果、ことわざが本来語っていた唐突さが、消えていた。反省の記録。
足元から鳥が立つ——京都かるたの一枚である。
足もとにいたと思っていた鳥が、突然飛び立つように、 予測できないことが、思いがけない形で起こる——という意味だ。
この記事、実はGoogleにはきちんとインデックスされている。 だが、アクセスは、ほぼゼロである。
これまで扱ってきた「そもそも見つけてもらえない」問題とは、 種類が違う。見つかっているのに、選ばれないのだ。
理由に、心当たりがある。
三年前、私はこう考えた。
鳥が飛び立つより、 自分の背丈より大きな鳥が、足もとからにょっきり立ち上がるほうが、 もっと驚くのではないか。
「立つ」という漢字を、飛び立つ意味ではなく、 人が「立つ」の意味で読み替えた、というわけである。 われながら、うまい思いつきだと思っていた。
だが今、読み返すと、こう思う。
驚きの質が、そもそも違う。
ことわざが言いたいのは、 「予測できないことが、不意に起こる」という、 出来事の唐突さである。
一方、私が描いたのは、 「巨大な生き物が、目の前にいる」という、 存在そのものの異様さだ。
驚くことは驚くが、これは予測不可能な展開の話ではない。 ただ、でかくて怖いだけである。 ひねったつもりで、実は意味そのものを、すり替えていたのだ。
もっと言えば、証拠は文章の中にも残っている。
「こちらの方が驚きがありますよ」 「この方が驚かない?」 「こちらの方が驚きを感じませんか」
——一つの記事の中で、同じ問いを、三回も繰り返している。
自分で自分を、必死に説得しようとしている文章である。 書いている本人が納得しきれていないものを、 読み手が納得するはずがない。
制作者が「?」と思いながら作ったものは、 読者はもっと「?」と思う—— これは、当然すぎる結果だった。
幸い、当時の私にも、最後の理性は残っていたらしい。
記事には、ひねった巨大鳥の絵とあわせて、 「足もとから鳥が飛び立つ」という、普通の絵も掲載していた。
こちらは、ことわざの意味を、素直に描いている。 足もとから、鳥が勢いよく飛び立つ一瞬。 驚きの質も、ことわざが言う「唐突さ」と、ずれていない。
結局、この普通の絵のほうが、 このことわざの説明としては、正しかったわけである。
ひねりを加えると、たいてい、意味が逸れる。
「一を聞いて十を知る」の案内板も、 「論より証拠」の怪物も、ひねりが成功した例はある。 だが、あれらはことわざの構造をそのまま保ちながら、 表現だけを変えたものだった。
今回は違う。 「立つ」という言葉尻をいじった結果、 ことわざが本来語っていた「唐突さ」そのものが、消えてしまった。
ひねるのは、いい。 だが、ひねった先が、元の意味からずれていないか—— そこだけは、確かめてから世に出すべきだった。
野山を歩いていて、蛇に驚いたことは何度もある。 だが、鳥が飛び立って驚いたことは、実は一度もない。
ましてや、自分の背丈より大きな鳥が、 目の前に立ち上がることなど、あるはずもない。
——今にして思えば、この私見の時点で、 すでに薄々、気づいていたのかもしれない。
足元から鳥が立つ|ひねって、外した記録


単に「鳥」では「鳥居」がたくさんヒットしてしまいます。
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