# かったいのかさうらみ
か
癩の瘡うらみ

種類:江戸かるた
いろはかるた「か」の一句は、現代では再録できない内容のため掲載しない。長島愛生園と、日本のハンセン病政策の歴史について記す。
いろはかるたの「か」には、江戸期に作られた札の一つとして、 現代では到底再録できない一句がある。
内容は、ハンセン病患者を梅毒患者と比較し、 一方が他方を羨むという、差別を前提にした言葉である。 現在流通している多くのかるたでは、 すでに別の句に差し替えられている。
当サイトでも、この句の原文をそのまま紹介することはしない。 イラストとしても掲載しない。
その上で、この札が生まれた背景にある、 ハンセン病をめぐる日本の歴史については、記しておきたい。 うわべだけ差し替えて済ませるより、 なぜこの句が生まれ、なぜ差し替えられたのかを 知っておくことに意味があると考えるからだ。
私は薬剤師の資格を持ち、 国立ハンセン病療養所・長島愛生園の近くに住んでいる。
長島愛生園は、日本で最初に設立されたハンセン病患者の療養所である。 その存在を日常的に意識できる場所に暮らしている者として、 この歴史に触れずに素通りすることを、避けたいと考えた。
このことわざが生まれた江戸時代、 ハンセン病も梅毒も、治療法のない病気だった。 外見に現れる症状への恐れと偏見が、 このような差別的な言い回しを生んだと考えられる。
問題は、江戸時代で終わらなかった。
1931年、日本は「癩予防法」を制定し、 長島愛生園を皮切りに、各地に療養所を建設していった。 各県では「無癩県運動」の名のもとに、 患者を見つけ出し、療養所へ送り込む施策が進められた。
保健所職員が患者の自宅を消毒し、 人里離れた療養所へ患者が送られていく—— その光景そのものが、ハンセン病への恐怖を人々の心に植えつけ、 偏見と差別を、いっそう強めることになった。
さらに、優生保護法のもとで、 科学的根拠のないまま、患者への断種手術が長年行われた。
ハンセン病の治療薬は、1943年、 アメリカで「プロミン」の有効性が確認されたことを契機に、 開発が進んだ。 1981年には、WHOが多剤併用療法(MDT)を 最善の治療法として勧告している。
だが日本では、これらの医学的知見が、 長らく政策に反映されることはなかった。
「癩予防法」を改めた法律が廃止され、 患者の隔離政策に終止符が打たれたのは、 ようやく1996年のことである。
治療法が確立してから、実に半世紀以上のちである。 その間、療養所で暮らした人々が失ったものは、 取り戻すことができない。
冒頭に挙げたことわざは、 差別を前提にしないと成立しない言葉である。
再録も、イラスト化もしない。 ただ、この言葉が生まれ、 そしてこの国が長く患者を隔離し続けた歴史そのものは、 忘れずに記しておくべきだと考えている。
このページに掲載した写真は、 国立ハンセン病療養所・長島愛生園のものであり、 厚生労働省のウェブサイトより使用させていただいている。
創作のイラストではなく、実在する施設の写真を用いることが、 このテーマに対して誠実な向き合い方だと考えた。
癩の瘡うらみ

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