# じゅうにんといろ
じ
十人十色

種類:その他格言
「十人十色」を描こうとしたら、同じ人物が背景と色で別人に見えることを発見した。人の色は、背景との掛け算らしい。そして高校時代、「ユニークを逸脱している」と言われた十一色目の男の、半世紀後の答え。
「十人十色」——人が十人いれば、考え方も好みも十通りある。
江戸時代の書物にも見られ、夏目漱石の作品にも顔を出す古い表現だが、 言っている中身は、今どきの「多様性」の話そのものである。
ご先祖様は偉い。 「ダイバーシティ」とカタカナで言われるより、 「十人十色」と四文字で言われたほうが、すっと腹に落ちる。
もっとも私は、この言葉について、 社会の講釈より先に、絵描きとして白状したいことがある。
メインイラストでは、「十人十色」を表現しようとして、 同じ人物を、背景や色合いを変えて描き分けてみた。
すると、妙なことが起きた。
同じ顔、同じ人物のはずなのに、背景と色が変わると、別人に見えるのだ。
朝の光の中では晴れやかに、 夕暮れの色の中では物憂げに、 街の雑踏を背負えば、気の強い人にすら見える。
十人十色を描くつもりが、発見したのは「一人十色」だった。
人の色というのは、その人に固定で塗られているものではなく、 置かれた背景との掛け算で決まるものらしい。
……この理屈、最近どこかで書いた気がする。 そう、土の酸性度で色を変える紫陽花である。 人も花も、背景に正直なのだ。
下段の絵では、若者が数人集まっている様子を描いた。 同じ場所で同じ時間を過ごしていても、 考えていることは、たぶん一人として同じではない。 そしてそれは、悪いことではない——というのが、この絵の言い分である。
ついでに、職業上の実感も申し上げておく。
私のギャラリーには、15,000点のイラストがある。 「若い女性」という同じ題材を、何千枚と描いてきた。
それなのに、同じ人は一人もいない。
似せようとしても、勝手に違う色を選び、違う表情を作る。 十人十色は、描かれる側だけでなく、描く側の意識にも宿っているらしい。
多様性というのは、努力目標である前に、 どうやら、放っておいても発生してしまう自然現象なのだ。
さて、ここからが本題である。
高校時代、私は教師からこう言われたことがある。
「ユニークは包容力のある言葉だが、おまえはそれを逸脱している」
……ひどい言われようである。
「ユニーク」という、大抵の変わり者を優しく包み込んでくれる言葉が、 私の前では包容力を使い果たしたというのだ。
十人十色という枠で数えるなら、 私は十色に入れてもらえなかった、十一色目ということになる。
当時はさすがにへこんだ。 だが半世紀を経て、天文同好会を作り、ヤシの木を描き、 サンタにビキニを着せ、売れない女性たちに惚れ続け、 15,000人の町の町内会長をやっている今なら、胸を張って言える。
先生、お見立てのとおりでした。 そして、逸脱したまま、案外楽しくやっております。
考えてみれば、「十人十色」の「十」は、きりの良い代表値にすぎない。 本当は百人百色、千差万別、そして時々、枠から数え漏れる十一色目がいる。
わが家でさえ、そうだ。 買物ひとつ取っても、私は最短距離の直線、家内は店内を巡る螺旋。 たった二人で、すでに二人二色。 還暦を過ぎても、この色が揃う気配はない。
だが、揃わないからこそ、螺旋の数歩後ろを歩く直線がいて、 その光景がイラストになり、こんな文章になる。
メインイラストには、こんな一文を添えた。
「人々が異なる性格を持っていることは、良いことだ」
十色に収まる人も、収まらない人も。 色が揃わないことは、直すべき不具合ではなく、 この世の標準仕様なのである。
十一色目の男が言うのだから、間違いない。
十人十色|十色から数え漏れた男の話


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